山咲博昭の活動記録 -大学職員の学習ポートフォリオ-

27歳の誕生日を機に日々の学習記録をブログを始めました。大学院や勉強会等での学びによる気づきを記録していきます。 また、たまに勉強会・交流会とのイベントの案内も行っていきます。 twitter:@hysaki

【雑感】「箱根駅伝と大学」(連続テーマ:大学の車内広告について考える①)

twitterではここ2日間久々につぶやいておりましたが、大阪ー東京間を青春18きっぷで往復する旅に出ておりました(初日は名古屋までワープしましたが…)。また、東京からそのまま群馬県の高崎まで足を延ばしました。まだ、絶賛、旅の途中(静岡ー米原間の車内)ですが、受験シーズン到来間近ということもあり、移動中の車内には「大学の車内広告」が多く掲載されていました。

そこで今回から数回に分けて、「大学の車内広告」について考えていきます。その第1弾として今回は「箱根駅伝と大学」と銘打って考察していきたいと思います。

 

 

1 箱根駅伝の概要と歴史、出場対象校

いわずと知れた正月の一大イベント「箱根駅伝」が年明け1月2日、3日に開催されます。今年の開催要項や出場校は以下のリンクからご確認ください。

箱根駅伝公式Webサイト

そもそも箱根駅伝とは、どういったもので、どこまでの地域の大学を対象にしていたのでしょうか。公式サイトの「箱根駅伝公式Webサイト|箱根駅伝の概要と歴史」を見てみると次のようなことが書かれています。

関東学連加盟大学のうち、前年大会でシード権を獲得した10校と、予選会を通過した10校、および関東学生連合を加えた合計21チームが出場。東京・読売新聞社前~箱根・芦ノ湖間を往路5区間(107.5Km)、復路5区間(109.6Km)の合計10区間(217.1Km)で競う、学生長距離界最大の駅伝競走である。

 箱根駅伝(正式名称:東京箱根間往復大学駅伝競走)は、

①「関東学連加盟大学」でないと参加資格がない。

②「学生長距離界最大の駅伝競走」である。

といったことがわかります。

 

それでは、箱根駅伝はどういった経緯で開催されるようになったのでしょうか。

こちらも公式サイトの「箱根駅伝公式Webサイト|箱根駅伝の概要と歴史」から引用させていただきました。

箱根駅伝が誕生したのは、1920年(大正9)、今から90年も前のことである。創設の原動力になったのは、マラソンの父として知られる金栗四三らの「世界に通用するランナーを育成したい」との思いだった。
1917年(大正6)に日本で初めての駅伝となる「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」が、京都三条大橋と東京・上野不忍池間で行われた。
読売新聞社が上野で開く大博覧会の協賛イベントとして企画したもので、京都―東京516キロを23区間に分け、三日間、昼夜兼行で走り継ぐ壮大なたすきリレーだ。
東西対抗で行われたレースは、大成功を収め、これが箱根駅伝の”原型”となった。

まず、日本で最初の駅伝が「京都ー東京間」を三日間昼夜兼行で走り継ぐもの、とされていますが、想像を絶する壮大さですね。走り継ぐにしろ、なかなかハードであること、また、最終的な結果を知るにしても現代のようにメールやネットは発展していませんから、結果を知るのにも時間がかかったと思われます(当時は電話があったので、それで結果を知れたのだと思いますが…)

そして、次のように続きます。

東海道駅伝」の成功に意を強くした金栗らは、大学や師範学校、専門学校に箱根駅伝創設の意義を説いて参加を呼びかけ、早大、慶大、明大、東京高師(現筑波大)の四校が応じたというのが、創設のいきさつである。

まずは4大学から開始し、「箱根駅伝」が創設されます。

ここから関東圏の大学に広がっていった訳ですね。ちなみにトリビアとして、過去に関東以外の大学も出場したことがあります。参照したのは「箱根駅伝の記録一覧 - Wikipedia」です。その大学とは、「関西大学」、「立命館大学」、「福岡大学」です。 「関西大学」は戦前に3回特別招待校(第9回、第12回、第13回大会)として1928年(第9回大会)、1931年(第12回大会)、1932年(第13回大会)出場しています。

一方、「立命館大学」、「福岡大学」は、1964年(第40回大会)に招待校として出場しています。「大学」として出場したのはこれだけになりますが、「日本学連選抜」として、2004年(第80回大会)に出場した記録があります。しかし、基本的には関東学連所属大学以外には門戸が開かれていないのが実情です。

 

2 箱根駅伝と「大学名の認知度向上」

箱根駅伝」は全国ネットでテレビ中継もされ、正月の風物詩となっています。そうした「箱根駅伝」は、JR東海道線内の車内広告でも大々的に広告が掲示されていました。 以下の写真は、東海道線高崎線(熱海ー高崎間)に乗車した際に撮影したものです。 

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東海道線車内で撮影(2017年12月29日撮影)

入試直前で出願も始まるこの時期に、全国ネットで大学名が連呼され、事前広告として大学名がこのように掲載され、周知されることは「大学名の認知度」を上げるにあたり絶大な効果があるでしょう。

しかし、あくまで「大学名の認知度向上=志願者増」とはならないでしょう。それは、2018年の受験生は既に受験校を絞っており、直結するわけではないのです。しかし、これから受験を考える高校2年生、1年生にとっては「大学名」を知ることが、その大学に興味を持つきっかけになり得るとも考えられます。その観点から考えると、「箱根駅伝」に出場した次の年の志願者数に影響が及ばされることもあり得ります。直接的な要因としてどのような効果を与えているか調査するのは難しいかもしれないですが、間接要因としてどのような影響を及ぼすのか調査しても面白いかもしれません(その年の18歳人口も踏まえての検討が必要かと思いますが…)。

 

3 箱根駅伝と「大学」

個々の大学に対する効果という観点では、「大学の認知度向上」もありますが、「箱根駅伝」出場校としての贔屓にする「大学」が出てくることも考えられます。

これは、単純に志願者増だけでなく、OB・OG以外の方々からの寄附金に繋げることも一案として考えられるのではないでしょうか。そういった卒業生以外の方から寄附を考える際にも検討材料として使えそうです(お金の話ですみません)。

一種の興業化になるため、学生スポーツとしては大々的に個々の学生の軸にしたイベントを企画するのは難しいかもしれませんが、既存の大学関係者以外の方にも大学を知ってもらい、贔屓してもらう機会としては一つ考えられる方法ではないでしょうか。

こういった広告が大々的にJR車内に出るのは羨ましいです。(以下の写真は「東洋大学」さんです)

 

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東海道線車内で撮影(2017年12月28日撮影)

 4 最後に

ここまで、「箱根駅伝」と「大学」について考察してきました。「3 箱根駅伝と『大学』」ではスポーツを通じた大学の認知度向上の贔屓校づくりについて述べましたが、今年(2017年)9月14日公表の「大学スポーツ振興の推進事業」では、以下のように大学スポーツを通じた大学振興を推進しています。

 スポーツ庁は、スポーツ基本計画に基づき、大学におけるスポーツ分野を戦略的かつ一体的に管理・統括する部局の設置や人材の配置を支援し、大学スポーツの活性化や大学スポーツを通じた大学全体の振興を図るための体制整備に取り組んでいます。
 今般、大学スポーツ・アドミニストレーターの配置等大学におけるスポーツ活動を支援する「大学スポーツ振興の推進事業」に応募のあった提案について、有識者からなる技術審査委員会による審査の結果、8大学を選定しました。概要は以下別添のとおりです。

今回は8大学が選定されています。「箱根駅伝」などの国内レベルでなく、2020年の「東京五輪」などを代表する世界的なスポーツイベントに選手を輩出できるか、も視野に含まれた取組だと考えられます。

このような「スポーツ」を通じた「大学の認知度向上」は、少子化などの「2018年問題」にも多少なりとも影響することだと考えられますので、「スポーツと大学」の関係性に着目して調査するのも面白いかもしれません。

なお、IDE大学協会が発刊している『IDE-現代の高等教育』の2017年7月号(vol.592)では、「大学とスポーツ」と題して特集が組まれておりました。こちらの話に興味のある方は一読してはいかがでしょうか。

 

次回は、「大学の車内広告について考える②」として、車内広告の打ち出し方について考察していきたいと思います。